僕が歩いたホースボール記

ホースボールについて。ホースボールのおかげで気付けた事について。

メールでお問い合わせいただいてる方へ。


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皆様、ホースボールにご興味をお持ちいただいてお問い合わせいただきましてありがとうございます。

 

その中で、

お問い合わせいただいてる方で、

ケータイのキャリアさんのアドレスだと返信出来ない方がいらっしゃるようです。

 

可能であれば、Yahooさんやgmailさん等の、

パソコンのアドレスを使っていただくと返信がスムーズな場合が多いです。

 

もしキャリアさんのアドレスでお問い合わせ頂く場合は、電話番号の記載などもあれば、そこにメッセージをお送りさせていただいたりも可能ですので、

問い合わせしたけど、返信が来ないという方は、

お手数ですが今一度パソコンのメールアドレス等でお試しくださいませ。

 

以上、お知らせでした。

 

 

7  2020年


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2020年が来る。

自分が住む国で、オリンピックがあると聞いて、ずっとワクワクしてきた。

 

でも、今はホースボールのワールドカップがフランスのサン=ローに決まったという事にワクワクしている。

 

2002年にサッカーのワールドカップが日本であった。当時高校3年生だった僕は、

毎日、芝生の公園で友達とサッカーをしていた。

 

その芝生の公園にもワールドカップを見に来たアイルランド人とイギリス人がたまたま通りがかって、一緒にボールを蹴った思い出が、とても強く残っている。

 

2002年のワールドカップは主にテレビで楽しんだ。

開催国なのに、

僕は『その場に居なかった』

 

 

2006年サッカーワールドカップドイツ大会。

大学3年生の僕は

移動費以外に10万円のお金を持って、

ドイツに居た。

 

日本からのインターネットで当てたチケットが2枚あり、その内の1試合で、ずっと僕のヒーローだったフランス代表のトレゼゲ選手をワールドカップの舞台で生で観ることが出来た。

 

当時の僕にとって、最高の瞬間だった。

 

その後もダフ屋からチケットを買うという方法を現地で知り、持っていた10万円で宿代等や食事を節約しながら

クリスティアーノ・ロナウドの試合や、

トレゼゲジダンの居るフランス代表の試合や、

ドログバの試合を観れた。

日本×ブラジルの試合のチケットは、

ダフ屋のチケットが不正だったので、違う理由で暴れていた日本人と一緒にスタジアムのセキュリティルームに連れていかれて、玉田選手のゴールをモニターで見ていた。

 

解放されてから、ドルトムントの街で警察署に並ぶ大量のスリにあった日本人の列を横目に、

今日はみんなそういう日なんだなと思った。

でも、10万円で歩き見たワールドカッブは、強烈な思い出になった。


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この写真は色んな人から絶賛された1枚だけど、

ワールドカップはインスタ栄えする瞬間の宝庫だった。

 

良くも悪くもワールドカップの最高の楽しみ方は、

『その場所にいること』

それに尽きると思った。

 

それから10年が経ち、

ホースボールを知ってから7年が経った僕は

2016年にポルトガルで行われた

ホースボールのワールドカップ

①大会の開催準備~

HCCというホースボールのスポーツアパレルのショップの運営~ 

③閉幕してから施設に何もなくなるまで。

という

マイナースポーツながらワールドカップというもののゼロから100にしてからゼロにするという貴重な経験を得ることが出来た。

あとはアパレルの売るまでの宣伝の仕方や、仕入れやリクエストに応えるのも、予測とデータが上手くリンクして売上的にも成功したので、そういうことも良い経験になった。



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全て、国際ホースボール連盟の

フレデリコ・カナス会長のおかげで経験出来た事だった。

 

ワールドカップの期間中、ホースボールを知った時のスター選手達と普通に顔を合わせる日々は最高に幸せだった。


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2016年のワールドカップで、

世界中の選手と話をしたり、プレーを見て、

日本人でもすぐに下のレベルなら試合になるなあと思い、

「2020年のワールドカップには日本代表をなんとか組織して来いよ」

という事を色んな選手が言ってくれた。

2016年、僕は『その場にいること』ができた。

 

 

それから3年が経ち、ワールドカップに日本が参加するのはお金次第という状況になってきた。

 

今、現在、練習をちゃんと積めばワールドカッブで面白いなというメンバーが3人。

他にまだ未知だなあと感じるメンバーが3人。

やりたいけど、馬に乗ったことがない人が3人。

やりたいけど、練習場が出来たら行きたいと言う人が5人(ただし関西に住んでいる)

やるのはちょっとと言われたけど出来るやろうなあという人は本当に沢山いる。

 

そして、

知ればやりたいし、技術的に出来る人はまだこの日本に沢山いると思う。

 

練習出来る場所と人が居て、あとはもう少しだけ練習の馬を増やすだけ。

ホースボール用に調教した馬をワールドカップの期間まで練習するだけの金額

 

今はワールドカップに到達出来る

10のうちの1の状態。

馬を買えれば、それだけで5まで近づける。

馬が居て練習を3ヶ月やればそれが8になる。

そういう状態にやっとなれた。

 

日本でオリンピックが来年にある。

多分、参加したり関わる人には最高の思い出になるだろう。

そして、同じ夏にわざわざフランスまで行くと

ホースボールのワールドカップが開催される。

 

オリンピックのどのスポーツよりも参加の価格は安いけれど、

普段にかかる費用がまあまあするのは事実。

 

ただ、

馬に乗って球技が出来るとてもエキサイティングなスポーツがホースボールだと思っている。

 

しかも、

『その場所にいること』が容易なスポーツ。

そして、

観客としても関係者としても、

日本のお祭りのようにディープな場所まで入れる国際大会。

2020年ホースボールワールドカップ

 

オリンピックが終わった1週間後から

フランスでワールドカップが始まる。

オリンピックも絶対に楽しいとは思うけど、

ディープな楽しみ方が出来るのは、

ホースボールのワールドカップだと思う。

 


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僕は近い将来こんな光景を

日本に作りたいと思っている。

開催日に近所の人が普通に見に来る。

そういう光景。

 

6 健康第一。 そして初めての・・・

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みなさん、お久しぶりです!

今年に入って、
「いつホースボールレッスンが再開されますか?」
というお問い合わせを定期的に頂いており、

その都度、
「申し訳ありません。少々お待ちください」
という状況でした。

今の一番のポイントは健康と、お金でした。

そうです。

大事な大事な、お金と健康です。

そして、加えて大事なポイントがあります。

そうです。

大事な大事な、場所と、主役の馬。

僕自身はホースボールしたい。というこの気持ちはずっとあるので、


人「ホースボールめっちゃしてえ」
×(かける)
お金
×
健康
×
場所
×

=
ホースボールが出来る


という感じになります。


今年に入りまして、お金を沢山得ようと、
劇的に沢山働いたところ、
なんと健康を損ねました✋


馬で大きなケガをしたことはありませんでしたが、
まさかの
お金を得る段階でまあまあ大きなケガをしてしまいました。


今やっと治りかけているところです!


そのケガをしているおかげのお休みを使って
ホースボールをしたい人や、ホースボールレッスンがやり易い環境を求めて、
千葉県をウロウロとしていました。

そんな中で、
縁づたいにたどり着いた乗馬クラブがありまして、
そこのオーナーさん御夫婦が興味を持ってくださり、

つい先日、
新規でホースボールに興味を持っていただいた方を交えて、
その場所でホースボール講習会をさせていただきました!

ものすごくありがたい事でした。


こんなに飲んで大丈夫かなと痛みドメの薬を飲み、
痛くなくなったところで、
ホースボールの講習会をしました。

改めて健康は基礎的なものだなと思いました。
早く完治させたいものです。


そして、
今回の講習会のすごいところは、
馬のホースボールの調教は、
なんと開催地のオーナーさんがされたというところです!


「元々、ボールを気にしない性格だったし良かった。」
と、謙遜されていましたが、

日本で、僕以外が調教したサラブレッドで、
ホースボールの講習会を行ったのが初めてだったので、
かなり感動しました!


また今後も
その場所でホースボールレッスンや、
ホースボールに必要な『 両手を離しても乗れる騎座づくり講座 』も、
開催していきたいなと思っています。


※写真はその場所とオーナーさんです!


以上、

健康は大切で、
そして初めて自分以外が調教したサラブレッドで
ホースボールの講習会を行い、感動しました。

という内容でした。

ではまたー!

5 ホースボール

 

僕はホースボールに本当に感謝している。

 

人生にホースボールが出てきてくれたおかげで、

本当に幸せな時間が増えたし、映画とかドラマみたいな光景に本当にたくさん出逢えた。

 

まあ色々とあったけど、全て最後には感動に変わったし、

これからもまたそんな素晴らしい瞬間や感情に出会えるチャンスが沢山、未来に待っている気しかしない。

 

そして、

今年で乗馬を始めてから9年目の年を迎えて思うのは、

ホースボールは日本人でも楽しめるし、

やらないだけで、ちゃんと段階を踏めば、

やりたい人は、

普通に楽しめるスポーツだということ。

 

日本ホースボール協会の動画みたいなスピードは、

正直、かなり慣れないと楽しめないけれど、

それより1段階遅いスピードでも本当に楽しいし、

 

まずはその日本でもよく見る乗馬のスピードで練習して、それが出来るだけでもめちゃくちゃ楽しいと笑顔に成れると思う。

 

僕自身がホースボールを試合でプレー出来るための、

基礎練習を教わっているときは、

めちゃくちゃワクワクしていたし、

常にめちゃくちゃ楽しいと感じていた。

 

そして、練習試合をしたとき、

レフェリーをしていた少年から、

「 いつも笑顔で一番楽しそうにプレーしてるね 」と笑いながら言われた光景が思い出せる。

 

おそらく、

これからホースボールを始める人などももれなく、

僕と同じようにすごく楽しくて

笑顔に成らざるおえない瞬間、時間に出会うと思う。

 

もし、笑顔になれない場合は、

馬のコントロールに手をやいている時か、

シリアスな試合の場面のどちらかだろう。

 

それならば、

また日常で練習をして、

笑顔でホースボールをする喜びを自然と表せるまで、

技術を高めたいと自然と思えるはず。

 

ホースボールは、

喜びと、

もっと上手に馬をコントロール出来るようになりたいという向上心、

その2つの感情が自然と沸き上がる、馬と一緒に出来るスポーツ。

 

どんなスポーツにも喜びや、向上心が湧くかもしれないけれど、

馬に乗りながら球技が出来るのは、

本当にめっちゃ楽しい。

 

人に感動するし、馬に感動する。

人馬一体に成ってプレーしている時の喜びは、

好きな人に告白して成功した瞬間の様な、ああいう素晴らしい気持ちと変わらない。

 

ヨーロッパでは既にホースボールがプレーしやすい環境が出来ている。

日本だと今はまだそれが難しいだけで、

出来ないなんてことはない。

 

中央アジアキルギス

ホースボールが楽しまれている動画がフェイスブックで拡散されたとき、

世界中のホースボールプレーヤーや、関係者がとても喜んでいた。

その喜び様は本当にあたたかいものだったし、

日本でホースボールがもっと普及したときには、

同じ様に世界中のホースボールに携わる人たちが本当に喜んでくれると思う。

 

その世界中から喜んでもらえるチャンスを、

今の日本は持っている。

 

僕らは世界中を湧かせるチャンスを今持っている。

それに必要なのはフランスやポルトガルの様な、

トップレベルの技術ではない。

 

今の日本が世界中を湧かせることが出来るのは、

 

粗削りの、

ホースボールを純粋に楽しむ姿。

 

それさえ成し得れば、

世界中の人たちを湧かせられる。

 

まあそれが当たり前の環境を作るのが日本だとなかなか大変なのですが。

 

千里の道も一歩から。

環境づくりがんばります。

 


日曜日のホースボールの練習試合 - YouTube

 

4 馬アレルギー

 

馬アレルギー。

 

これになっても、

乗馬は出来る。

 

そして、上手くいけば治るというのを、

伝えたくて、ここに書き記します。

 

乗馬クラブで働いていると、

時々、馬アレルギーの方と出会う。

 

対策は、

お手入れを全くしないという方法や、

薬を飲んで抑えるという方法がある。

 

そして、

僕の場合はアレルギーが出なくなるまでにしたことは、

① アレルギー反応が出ないように体にお願いする 

↑これは言うとバカにされる(笑)

けど、これも大事だったと思いたい(笑)

② 体に馬アレルギーが出なくなるまで毎日馬に触れる 

③絶対に掻かない。掻きたいときは水で流すか、水を手につけてからパチパチ軽く叩く。

の3つだった。

 

関西に戻ってから、

ハーモニーファーム淡路さんに

研修生として入り、

 

厩舎の横の寮で寝起きし、

毎日馬に触れる。

 

これを毎日繰り返していると、

3ヶ月後には、全くアレルギーが出なくなった。

 

これは大学生の時に読んだ本で、

遺伝子を研究されている村上和雄先生の

『 生命の暗号 』を読んでいて、

 

人間の体は変わる。

 

というのを知っていたからチャレンジ出来た事だった。

本を読んでいなかったら、

アレルギーとわかった時点で泣く泣く諦めていたかもしれない。

 

そして、更に幸いだったのは、

アレルギーが呼吸器系に出なかった事だ。

 

呼吸器系に出ていれば、

続けれなかったかもしれない。

 

そして、皆さんが

「ん?」と思われるであろう方法の、

『 体にお願いする 』というのは、

夜寝る前と、朝起きてから、

「 馬アレルギー出てくるなよ。 」と、

ものすごく強い気持ちで自分の体にお願いするという方法で、

これは傍目にはかなりバカらしいが、

当時は、四六時中かゆすぎて辛すぎたので

一刻も早く治したいとの願いから、

しっかり、やり続けた。

 

「 これは治ったのに関係ないやろ 」と考える人がいると思うが、

僕は今でも治るために大事な要素の一つだったと心底、信じている。

 

そして、

願うだけでは村上先生の本の内容的には足りないので、

ちゃんとアレルギーの原因である、

『 馬の毛 』には触れ続け、かかずに、気がつけば毛を水で流すを続けた。

 

乗馬クラブでの研修生の毎日は、

めちゃくちゃ楽しくて、

めちゃくちゃかゆかった。

 

天国と地獄が同時に訪れている不思議な感覚の毎日だった。

 

そうこうしてる間に、

2ヶ月目から、ちょっとマシに成り、

3ヶ月が経つ頃には、

本当にある日、ピタッとアレルギーが止んだ。

 

止まってから、

1日、2日は、

 

ホンマかな。

 

ほんまに止まってくれたんかな。

 

と、半信半疑だったけど、

3日目にはどれだけ馬の毛が皮膚に付いていても、

全くかゆくならず、

 

同時に、ものすごい達成感と喜びが湧いてきた。

 

これで、

めっちゃ寝れる。

 

と心底嬉しかった。

 

馬アレルギーは、

今ではよっぽどの体調不良の時のみ出るだけで、

その他の時は一切出ない。

 

長々と書いたけど、

馬アレルギーで、乗馬を諦める人もいるので、

もし、乗馬をがんばりたいという方には、

上手くご自身の体と付き合って、

楽しい乗馬ライフを送ってほしいです!

 

以上、

馬アレルギーを治した方法でした!