僕が歩いたホースボール記

ホースボールについて。ホースボールのおかげで気付けた事について。

14 アタマの中で

 

過去に見た景色。

その時は実際じゃなくて、

ただ、僕の頭の中に浮かんでいた光景で、

 

いつか日本で

ホースボールプレーヤーが集まったカッコイイ集団を作ると夢みていた。

 

といっても実力はこれからみんなで磨きます。

 

僕は、

めっちゃ誉められる長所も多々あるけど、

その分、全然ダメダメな短所も多々ある。

 

人としてめっちゃ誉められるのと同時に、

人としてどうなんかと首をかしげられる行動の時もある。

 

その両極端な性格で、

今まで色んな乗馬クラブや乗馬クラブ以外の職場で、

周りの人達に

『 大きな喜び 』と、『 大きなまじで? 』をたくさん生み出したこの瞬間より過去がある。

 

そして、去年の年末に、

35年間で1番の窮地に陥り、

それから2週間も経たない内に、

過去に見た夢の中の景色が目の前に現れた。

 

まだまだこれからだけどスタートは切れた。

やっと切れた。

といっても

何度目の再スタートなんやろうか。

 

振り替えると、

決してどんなに何があっても、

どんなけ色んな人に何を言われても

破産してでもやりたいし

作りたいと思っていた光景のはじまり。


f:id:horseball:20200115233714j:image


f:id:horseball:20200115233859j:image


f:id:horseball:20200115234312j:image

11日~13日に馬事学院さんで行わせていただいた

ホースボールレッスンには毎日キャパ越えで

みなさんに参加してもらえて、

遠くは四国の香川県から来ていただいたりしました。

 

まだまだ頭の中には、

昔見たたくさんの景色が、

これから本当になるのを待っています。

 

僕がアタマのなかで見た景色、

本当になったらみなさんもめっちゃオモシロイと思います。

 

「 50年以上先まで日本で絶対に無理 」

「 タカシが生きてる間に日本で絶対に出来ひんで 」と、

たくさんの乗馬に関わる人から言われたホースボール。

 

それから10年が経ち、

2020年、ワールドカップに挑戦してよいというチャンスに恵まれるまで来れました。

 

遠く離れてる両親や姉妹には、

最大限の迷惑をかけているので、

今の状態が落ち着いたときに、

良い女性に出逢っていたら結婚しますというのと、

ホースボールは生まれてきた理由やから、

言いたい事はあると思いますが、

もうちょい続けさせて頂きます。

というのを改めて宣言し。

 

そして、

ここまで来るのに

良いときもそうでないときも、

関わってくださった乗馬クラブさんのお陰様であり、

更に

現在、色々な提供をして下さっている

『 馬事学院 』さんのお陰様です。

本当に、ありがとうございます!

 

馬事学院さんが日常でされている内容は、

『 馬事学院 』さんのツイッターで色々と分かりやすく知れます。

 

馬事学院(高校/専門学校)の裏舞台‼️😳引退馬支援を通じ新しい人を教育の場を!👧👨🏫バジガク (@bajigakuin)さんをチェックしよう https://twitter.com/bajigakuin?s=09

 

競争引退馬のリトレーニングで乗馬を作ったり、

たくさんの殺処分されそうなサラブレッドを、

手術をしたりあの手この手で救ってこられました。

 

馬事学院さんで今回お借りした馬も、

引退馬のリトレーニングや、足の蹄が良くなくて普通なら肉馬にされそうな馬をリトレーニングによって、

ホースボールの練習がスグに出来るまでに、

育て上げられていました。

 

馬事学院さんの取り組みがもっともっと世に知られて、

馬事学院さんのノウハウでリトレーニング後のサラブレッドが世の中に出ていくと、

引退馬の生きる道がめちゃくちゃたくさん増えると思っています。

 

ホースボールのチームのメンバーも

「 バジガクさんかなりオモロイっすね! 」

と馬事学院という場所にもハマっている様子。

 

これからです。

 

みんなでレベルアップしていくので、

2020年、よろしくお願いいたします🙌

 

ではまた!