「 ホースボールしたい 」
気持ちがそれに変わってから、
まずは乗馬ライフに載っていた問い合わせ先の元女性ジョッキー
鈴木久美子さんに電話をした。
3月の晴れた日で、
たまたま隣にいたマスという友達に、
「 おれ今から電話するけど、断られたらめっちゃ笑ろてな 」と言って
心に保険をかけ、
電話を始めた。
鈴木さんが電話に出た。
「 初めまして、西島といいます。僕、ホースボールしたいんです。
中学生の時に週一で半年乗ったことはありますが、今は乗れるか分かりません。 」
その時の電話は、
その自分の言葉しか覚えていない。
ただ、そこで決まったのは、
一度、
千葉の乗馬クラブに行って研修をすることだった。
そのあと当時勤めていたホテルで5月一杯まで仕事をし、退職した。
ちなみに、その2ヶ月間、友達や新しく会う人、色んな人に仕事を辞める理由を言ったら、
もれなく反対や否定の言葉をもらい一生分くらいのそういった言葉を聞けた。
みんなの気持ちも分かるから嫌いになることはなかったし、
ホテルで働いたおかげで精神的になかなか強くなっていたから凹まなかった。
本当にホテルで働いていてよかったと心底その当時は感じた。
そして、更に僕には心を支える強力な味方が2つあった。
もうひとつはブルーハーツさんの名曲『 夢 』
日本語の分かる男子なら
この2つさえあれば、何か始めようとする時には、
無限の勇気をくれる誰にでも装備できる武器だと、今でもハッキリと思う。
6月になり26歳の誕生日を迎えてすぐに、
ようやく千葉の乗馬クラブに行くことが出来た。
鈴木さんのお知り合いの一宮乗馬センターに5泊6日の研修でお世話になった。
海が近くて、爽やかな気持ちになれる雰囲気の場所に、
一宮乗馬センターはあった。
鈴木さんは元ジョッキーらしく小柄で華奢な方だった。
ジョッキーを辞めたあと、フランスのソミュール乗馬学校に入校され、その時にホースボールを知ったらしい。
後で観たビデオの中で鈴木さんがフランス人のホースボールプレーヤーと喋ってる映像があって、フランス語がペラペラだと知った。
鈴木さん自体はホースボールをせず、日本に紹介するというのをされていた。
まずはホースボールの大まかなルールや歴史を教えてもらい、
フランス人やポルトガル人がプレーするビデオを資料として観た。
そのビデオ自体は古くて、1990年くらいのものだったけど、
僕にとっては初めて見つけた宝物みたいに新鮮でものすごく楽しく観れた。
そうして、
今日本で手に入れられるホースボールの情報を全て手に入れた気分で、
実技に入って行った。
まずはホースボールでは無いけれど、
馬の世話の基本、
馬房掃除のやり方。
そしていろんな細々とした厩舎作業のあれこれ。
中学の時に辞めた理由がこれだった。
中学当時は体力がなさすぎたせいで辛すぎたけど、
前職のホテルが良い意味でハードだったので、
体力も精神力も鍛えられ、
更に26歳の僕は
「 牧場ライフやん 」「 めっちゃかっこいいやん 」と一人でウキウキしていたので、全く辛いものではなくなっていた。
そして、馬を扱う実技に入って、
僕は、本当に、まさか、、、という衝撃的な
自分に降りかかる事に出会うことになった。
・・・つづく。